いまどき、チョコレートで愛を告白する女の子などいないだろうが、シャイな日本人にとっては、バレンタインデーは男女間のコミュニケーションを支えている。しらせの中でも、先任海曹室からバレンタインデーのイベントの告知が掲示された。艦長、副長の確認もある公文書「バレンタインイベント実施要領」である。実施は2月14日の夕食後から19:00まで。場所は科員(乗員)食堂。配給係の氏名が列挙されている。「チョコレート被配給対象者は乗員及び観測隊員」つまりは僕らもチョコレート(?)がもらえる!
細部実施要領によれば、被配給者が好みの配給係からチョコレートを受け取る。しらせには10人強の女性自衛官が乗っているが、イベントでのチョコレート配給係は、2月上旬に掲示された「本当の自分をみつけたい人募集!」に応募した男性自衛官である。「配給係に失礼な言動を慎むこと」という注意事項も付記されている。
父は整理上手で、実家には呆れるほど無駄なものが少なかった。亡くなったとき、実家には南極関係の資料は限られたものしか残されていなかったのだが、その中に15次隊ミッドウィンターのお品書きがあった。手書きのそれは、少し厚紙の表紙には肉筆の南極風景画が描かれるという凝りようだ。西村淳が書いた「おもしろ南極料理人」にも描かれるとおり、ミッドウィンターは、越冬隊にとって最大のお祭りである。大の大人が3日三晩学園祭のノリで遊びつくす。料理も贅を尽くした品々がならぶ。15次隊のお品書きには、前菜にオングル海峡産サーモン、ラングホブデ沖いか雲丹焼き、弁天島産白魚亀甲焼き等々と並ぶ(産地は南極の地名であり、事実かどうかは怪しい)。メインディッシュは大和山脈風ローストビーフ、白瀬氷河風伊勢海老、また模擬店には晩年寿司屋を開いた小堺氏らしく20種の「皇帝寿司」も並ぶ。ミッドウィンターの酒池肉林は夏隊の僕には経験できないが、いったい南極で何が食えるのだろう?観測隊同行が決まってからの興味のひとつは南極の料理であった。今回は、しらせも含めた南極観測隊の料理を大紹介!
もはや現役ではない僕にとってトレーニングは重要ではないが、日々のリフレッシュのために走ることは欠かせない。南極での約一月半、それにも増してしらせでの往路20日、復路45日でどうやって走ろう。これは南極観測に同行するにあたっての切実な課題であった。...
野外を含めての約4ヶ月、いつもの研究室を離れて仕事をする。これは自分に とってもはじめての体験だった。調査はもちろんだが、その合間にも資料整理をしたり、考えをまとめたりする。その環境は、しらせ艦内から野外のテントまで多岐にわたった。4ヶ月間、私の研究活動を支えてくれた「office」を紹介する。
強風になるとヘリが飛ばない南極では、出発前に作った活動計画など、ほとんど意味を持たない。野外調査に使えるヘリは自衛隊の大型ヘリCHが1~2台(常に2台が運用できるわけではない)、観測隊のチャーターしたヘリASが1台だから、悪天候で順延されれば他の野外調査の予定も狂い、場合によっては完全にキャンセルとなる。予定変更で、1月になると、ほとんど野外調査に同行できない日々が続いた。しかもこちらの調査対象は南極の自然ではなく野外調査に出かける観測隊員なので、主体的にヘリの日程調整に動くことができない。元々はどちらも行くはずだった調査のAとBが同じ日程でバッティングしてしまい、やむなくどちらかを削るという羽目にもなった。 全体のスケジュール消化率からして、同行の予定が2~3割減になることはやむをえない。だが問題は、どれを削るかだ。13.で紹介した地理院の支援は、個人的にも重要視していたが、露岩を移動するから調査対象としても好ましい。なんとかこれを死守せねば・・・。 結果的に当初予定されていたオメガ岬+竜宮岬は、距離の関係でオメガ岬のみの実施となったが、前回のブログで紹介したインステクレパネの支援にも参加することができた。特にインステクレパネは、地形図の空白地帯。まさに「剱岳-点の記」である。
阪神淡路大震災や東日本大震災時で日常生活を支えるライフラインが途絶すると、普段の生活がそれらに如何に依存したものかを思い知らされる。ガスや水道、電気がなければ、数日間の生活さえ困難になる。そんな環境でアウトドア用品が役立つことが指摘されたが、山岳ガイドやアウトドア関係者も、被災地の支援やその基盤づくりに活躍した。今回59次隊に参加した山岳ガイドの高村さんもその一人だった。「(ガイドとして)こんな活動の仕方もあるのだな」と気づいた高村さんは、その後フィリピンの水害に対する医療関係者を支援したりもした。その延長線上に、今回の南極観測隊参加があるという。