待ちに待った夏休み。40日間の夏休みは子どもにとってのパラダイスだ(今はそうでもないかも・・・)。でも、前半が終わると時間の進み方が早くなる。まだ半分と思っていたのに、楽しい日々は怒涛の勢いですぎていく。そして8月30日!宿題が・・・。そんな子どものころの日々を思い出すここ数日。...
昭和基地には夏期間の間だけ、新しい越冬隊と夏隊によって人口が約3倍になる。彼らが入るのが二棟の夏宿舎である。昭和基地としてよく写真などにも出るのは管理棟+居住棟で、越冬隊員が生活している。こちらをスイス風シャレーとするなら、1夏は山小屋。2夏は水もない避難小屋というところか。...
僕が長い時間お世話になった氷河チームは、過去にほとんど人が入っていない自然の中にキャンプを設営し、野外生活をしながら調査を継続している。南極観測隊というとみんながそんな生活をしているように思わっている人も少なくない。しかし、実は現在の南極観測ではそのような調査スタイルは少数派である。隕石発見で業績を上げたセルロンダーネ石調査隊は約3ヶ月間、南極でキャンプ生活をする。過去にはガイドや著作でも有名な阿部幹雄さんやプロスキーヤーの佐々木大輔さんがフィールドアシスタントをしている。もちろんその期間、風呂には入れないし、食料のほとんどもフリーズドライで軽量化を図っている。ブリザード中に建物に避難することもできないので、スノーモビルが転がったり、テントが崩壊するといった危機的状況も経験している。
年末の悪天候やブリザードによるヘリ輸送のキャンセルで、野外で調査するチームの行動予定は、予測不可能なほどに変更になった。僕の研究は研究者たちの過酷な環境でのリスク認知なので、基本的にはどこかの野外調査チームに同行し、その様子を記録したりインタビューする。従って、野外調査チームの予定が変更になれば、こちらの調査対象も強制的に変更となる。
次はいつ野外調査に同行できるだろう?そろそろ心配になってきたころに、木津隊長から「氷河チームの支援に入ってくれませんか?」という打診が来た。氷河チームの人手不足は気になっていた、他のチームに比べてリスクの高い作業をしていることは間違いない。断る選択肢はない。氷河の上でのキャンプ生活も願ってもない経験だ。
1960年10月10月、激しいブリザードの中、Y隊員と犬ぞりの点検にでかけた第四次南極観測隊の福島隊員は帰路を見失い、行方不明となった。隊員総出で捜索活動を行ったものの発見することができず、7日後に福島隊員は死亡認定た。その後9次隊の際に遺体が発見された。南極観測隊員唯一の死亡事例である。...
昭和基地では、前の隊と新しい隊がともに居住する12月後半から1月いっぱいを夏期間と呼ぶ。夏隊は基本的にはこの期間だけ昭和基地などに滞在するのだが、その生活が過酷だという話は多くの人より聞いていた。何より、日ごろ自分で時間を管理することに慣れている大学の研究者にとって(最近ではそうでもないが)、日課が厳格に決まっており、体調が悪くても、天候が悪くてもその日課に従うことを余儀なくされる生活は精神的にも過酷だ。さらに夏期間の隊員の宿舎(通称「夏宿」)のうち僕の滞在した第二夏宿舎には水がなく、温水器があるのみである。小便は外!の仮設トイレだし、大は300mほど離れた第一夏宿舎にいかないとできない。さすがに居室は二段ベッドで暖房も効いているが、それ以外は山の避難小屋レベルの生活だ。