西オーストラリア州最大の都市パースはやや内陸に位置しているため、その外港として稼働しているのがフリマントルである。僕らはここに直行で来るが、約2週間の長旅をしたしらせと自衛艦はここで、積荷としばしの休息を取る。休息とは言え、在留邦人や地元有力者を招くレセプションや日本人学校の見学会があり、大変だ。海上自衛隊だからどんな船だって操れるのは当然としても、子どもから大人までそれぞれに趣向を凝らした接待をするのは大変だろう。多彩な活躍には頭が下がる。
写真:左上から時計回りに、南極地域行為者証、出発式で挨拶する土井隊長、見送りに来てくれた家族と、パース到着後はすぐに「しらせ」に滞在、隊員を送る職場の人たちの横断幕。基準点調査でお供する国土地理院の方達
大学院生だったころ、偉い先生のお供で、学会の重鎮が揃うシンポジウムに行った。会場は大学とか公共施設ではなく、明治記念館。世間を知らない大学院生は、敷地の門のところにドアボーイが立っているだけで、「おーっ」てなる。南極地域観測統合本部主催の壮行会は、その明治記念館で行われる。華やかな宴会場で防衛大臣と文科大臣が壮行の辞を送る。宇宙にでも行きそうな勢いだ。
本部主催の壮行会は11月7日。それに前後して壮行会てんこ盛りの2週間が続いた。11月2日には、観測隊OB主催の壮行会が行われた。レジェンドという言葉がふさわしいOBさんの講演を聴いたり、おしゃべりをしたり・・・。伝統ある大学運動部の先輩諸氏から喝を入れられている気分だ。翌3日には、アウトドア仲間が壮行会を開いてくれた。昼間は明治期の古地図を使って都内でオリエンテーリングイベント。もともと置き土産として昼のイベント中心で準備を進めていたので、夜の壮行会にも80人も残ると聞いてびっくり。高校の時からのヒーローだった杉山隆司大先輩に乾杯の音頭をとってもらい、彼と世代交代した1980年代のことを思い出した。
観測隊・同行者の出発まではあと3週間ほどあるが、しらせは11月12日には晴海埠頭を出港してしまう。南極観測隊の出港といえば晴海で、宗谷もふじも観測隊もろともここから出港していたが、2000年頃から観測隊は空路でオーストラリアに入る。帰りも空路だから、往復ほぼ一月短縮されたことになる。かつては帰国は4月10日ごろだったが、大学の研究者にとって、3月中に帰国できるのは大きい。