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山岳遭難を考える · 2012/07/25
 静岡外からきた学生は、「在学中に一度は富士山」と思って富士登山に出かける者が結構いる。それに気づいて、夏休み前の体育の授業では、登山のリスクについて考えさせる授業をする。
山岳遭難を考える · 2012/06/25
 6月21日に、恒例の前年の山岳遭難統計が警察庁から公表された。それによれば、ここ数年増加の一途だった山岳遭難は192人の減少となり、2204名となった。22年の遭難の増加が極端だったので、減ったというよりも妥当な増加幅に戻ったというべきなのかもしれない。
山岳遭難を考える · 2012/06/13
 今年、ショートロープでの確保の検定中、ガイド資格を取ろうとしていた優秀なクライマーが検定員である優秀なガイドを道連れ滑落するという事故があった。その場所を二人がそれぞれ登っていたら百回登って百回とも落ちなかったと、二人をよく知る人は語る。なぜそんな事故が起きたのだろう。
山岳遭難を考える · 2012/06/07
PEAKSの夏山遭難対策特集の座談会に呼ばれたのをきっかけに、夏山の遭難実態を分析してみた。元データはすでに公表している2010年の遭難データだ。昨年の全遭対での発表に向けてデータを料理した時にも、「いいデータってのはかめば噛むほど味がでる」と感嘆したものだが、夏山(7,8月)に限って集計してみたら驚愕の事実。
「釜石の奇跡」という新聞報道には違和感を抱いてきた。ある防災の専門家も、「あれは奇跡ではなく必然だ」という。実際朝日新聞の記事によれば、学校管理下での児童/生徒の死亡は大川小学校を除くとほとんどない。数見氏の「子どもの命は守られたのか」(かもがわ出版)でも、欠席等の児童の死亡を含めても一般住民の1/8程度にすぎない。全体としてみれば、学校はよく児童・生徒を守ったといえるのだ。 さらに「あら探し」をすれば、釜石の実践も、片田さんが構想したことができなかったという意味では失敗事例なのではないかとさえ思う。理由は学校管理下になかった生徒の死亡だ。学校管理かでは誰一人亡くならなかったが、当日病気等の生徒5名が死亡・安否不明である。4人は欠席や早退、ひとりは避難後に家族と合流してから行方不明。この結果は、片田さんが目指したような「自分の命は自分で守る」が教育として徹底していなかったことの証とも言える。より正確にいうなら、その教育は「学校」という場でのみ有効であった。生徒は、「学校管理下だから学校で習ったように行動した」のかもしれない。片田さんは、本来このことを乗り越えたかったはずなのに。  休んでいた子どもはどのように被害にあったのか。被害に遭った割合はどの程度なのか、その検証が片田実践を乗り越えて、学校にいようがいまいが「自分の命は自分で守る」子どもを育てるためには必要なのだ。
31:数見隆生 (2011) 子どもの命は守られたのか:東日本大震災と学校防災の教訓 かもがわ出版...
 センター入試の地歴と公民の問題冊子配布で7000人近い受験生に支障が生じたという。入試監督という末端業務に携わったものとして、またエラーの心理過程にも興味を持つ研究者として、ミスはどうして起こったのかを考えてみたい。...
山岳遭難を考える · 2011/12/04
 極度のリスクに携わる登山家が、そのリスクをどう捉えているか、そこから自然体験に関わる指導者へなんらかの示唆がなしえるのではないかという着想で、研究費をもらった。
山岳遭難を考える · 2011/08/29
 8月の後半に北アルプスに出かけた。最初は高瀬ダムから入って、野口五郎→水晶→雲ノ平→太郎平→折立というルートの予定だったが、初日の朝から大雨だったので、急遽変更して、室堂にいって停滞、天候に応じて立山周辺を歩くことにした。登山後に立山にある登山研修所による用事があったし、縦走中に停滞している時間的余裕がなかったからだ。
山岳遭難を考える · 2011/07/23
全国遭難対策協議会のために遭難データの分析をして、改めて登山ブームの影響を知ることができた。2009年には登山人口が前年の倍以上になったと言われている。活動の程度からみれば、20%増し(参加人口×年間参加回数を割り算したもの)で、そのあたりが実感に近いところだろう。

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