11月に出発する南極地域観測隊の活動は、その年の3月に行われる冬期総合訓練からスタートします。南極観測隊員といえども、寒冷地や雪上での経験豊富な猛者ばかりとは限りません。むしろ、最近では厳しい自然環境についての知識が乏しい人も少なくありません。そういう隊員候補者に雪上での経験をしてもらうとともに、チームワークを高めようというのが、冬期訓練の重要な目的です。観測隊員の多くは、この訓練で初めて出会い、越冬隊では2年にも及ぶ濃厚な関係がスタートするのです。
コロナウィルス対策で社会全体が非常事態宣言下とも言える状況の2020年3月1日~5日の日程で行われた今年の訓練は、前日の21時になってようやく正式に実施が決まるという状況の中で実施されました。実施にはもちろんリスクはあるでしょう。しかし、やらないこともリスクです。このタイミングを逃せば、雪上での訓練や寒さの中で身を守ることを経験することなく、南極に赴くことになります。国家機関としてのあるべき規範と観測隊のリスクマネジメント、その両方を勘案した実施は、それ自身がリスクマネジメント的には興味ある題材でもありました。
これまで南極観測隊の冬期訓練は、内容こそ少しづつ刷新されてきたものの、1956年のタロ・ジロの時代以来、すべて乗鞍高原で実施されていました。「不便だ」「研修施設としてふさわしいファシリティーが揃っていない」など、不満はいくらでも言えますが、伝統ある訓練場所を変更することは、大きなエネルギーが必要だったことでしょう。60余年ぶりの開催地の変更には、これからも南極観測をさらに発展・進化させていこうという南極観測センターの意思のようなものが感じられました。
訓練のメインは2日間の雪中行動・キャンプ訓練と日帰りで行われるルート工作訓練(一部の班は別)でした。雪中行動では、雪上でのキャンプ、スノーシューを履いての登山が行われます。昨年までは「南極でそんなことしない!」と批判されつつも、ずっとツェルトを使ってのビバークがメインディッシュでした。雪山経験のない多くの隊員にとっては、「あれが一番(越冬も含めて)つらかった」と言われるほどのものですが、今年はテント泊となりました。
現在でも南極観測において現役のスキルがルート工作です。昭和基地のあるオングル島は、南極大陸から5kmほど離れた島の上にあり、冬期の観測では必ず海氷上を通過する必要があります。また、山岳地や大陸の氷床に上がる部分にはクレバスがあり、転落すれば致命的な事態が発生します。そうした場所で安全が確保された一時的なルートを設定するという作業は現在でも南極観測の重要なルーティンになっているのです。もちろん、現在ではGPSが利用可能ですが、システムや機器が不具合を起こしたときのバックアップとして、またルートを点ではなく線・面としてイメージすることの重要性から、現在でもハンドベアリングコンパスを使ったアナログ的なルート位置情報の把握を行っています。そのための練習がルート工作訓練でした。
今回も、雪によって自由に移動可能になった山林に5つのチェックポイントを含む2km弱のルートが地図で提示され、それを3~4時間かけて現地に設定します。ルート工作は複数人が共同しないとできないので、チームビルディングのための活動でもあります。過酷な天候の中で繊細さと忍耐が要求される作業ではありますが、そこはさすがに若くて優秀な研究者、各技術領域の達人たちの集団、初めての作業ながら卒なくこなしていきます。
冬訓練に参加するのは、これで4回目になります。初めて参加した時、講義の内容に違和感を感じる一方で、国家事業として行われる南極地域観測の重みを感じたものでした。言ってみればオールジャパン、研究観測の日本代表であることは確かですし、それだけの貢献を南極観測は自然科学の世界に対して行ってきました。折しも、日本の南極観測における初の社会科学的成果である私の研究成果「過酷な自然環境におけるリスクマネジメントの実践知」の研究が公刊され、極地研究所と静岡大学で共同プレスリリースされました。自然科学の国家プロジェクトであることの重さを改めて感じるとともに、人文社会科学もその一翼に加わるという重みも感じた訓練でした。
「過酷な自然環境におけるリスクマネジメントの実践知」は以下のURLで概要が公表されています。