23.南極の夏

写真は、左から①ロアール・アムンセン、②ノルウェー航空機の尾翼を飾るアムンセン、③日本の白瀬矗(のぶ)、④極地研にありカラフト犬の銅像。

 

極地振興会が発行している南極カレンダーは、隊員が撮影した南極の写真カレンダーだ。オーロラだとかペンギンなどのいかにも南極の季節に応じた写真が使われているので、贈り物にして喜ばれている。カレンダーの部分には、その日にあった南極関係のできごとが列挙されている。特に12月~1月にかけての夏の南極は活動が活発だ。様々なできごとが記載されている。

 

12/14:南極の日

 1911年にノルウェーのロアール・アムンセンが南極点に到達した日。である。アムンセンはノルウェー航空の尾翼を飾る。「ノルウェー魂」というところか。忘れてならないのは、同じころ、日本の白瀬矗も南極点に向かったものの、南緯80度で涙を呑んで引き返す。

 

1月16日

 1912年の今日、スコット隊(英)が人類2番目として南極点に到達した。彼らが見たものは、アムンセン隊が残したテントであった。この話を読む度に思うのは、当時そんな精度で自分の位置が分かったのだろうという疑問だ。スコットはスコットで別の地点を極点到達と思っていたら、彼らは生還できたかもしれない。

 最近読んだ本(ウェッブだったか)によれば、実際アムンセンが極点だとしてテントを立てた場所は、極点から数キロだったか、離れた場所だったということだ。そこがアムンセンの抜け目のないところだが、彼は自分の天測精度が低かった時のために、3方に7kmづつ念のため移動していた。

 スコットらは失意の中で帰路につく。凍傷にかかった隊員は、自分が隊の重荷なっていると考え、吹雪の夜「ちょっと外に出てくる」といって姿を消した。彼らは結局生還することができなかったが、研究成果である岩石などは最後まで放棄しなかった。このことが、彼らの行動能力を低下させたと考えることもできるが、同時に名声を高めた。

 加えて、スコット隊は南極点でアムンセンが残した手紙も最後まで持ち続けた。この手紙は、もしアムンセンが帰路で遭難した時に極点に到達したことを証明するために、二番目の到達者に託した手紙だった。スポーツで言えば、勝者に敬意を払うgood looserということになるだろう。それは、壮絶な敗戦であった。

 

1月9日:

 シャクルトンが1909年に南極点から180kmの近さまで達した日。南極探検といえば、アムンセンとスコットが有名だが、英国人のシャクルトンはそれに負けず劣らずの業績を上げている。特に彼の名声を高めたのは、極点に最も近づいた1909年の遠征ではなく、1914年の遠征だ。この遠征で、彼はすでに到達された南極点到達だけではなく、それを含めた南極横断を試みた。この遠征は南極大陸にさえたどり着けなかった「大失敗」なのだが、氷に閉ざされ漂流したエンデュアランス号が沈没してしまった後も、不屈の精神と親和的リーダーシップで一人の隊員も失わずに帰還した。この話はアームストロング「そして、奇跡は起こった」(評論社)に詳しい。

 

1月14日

 1959年の今日、南極昭和基地にて、第三次隊がタロ・ジロを発見した。このあたりの経緯は南極物語に詳しい。100年ほど前の白瀬隊もカラフト犬を置き去りにしたという史実抜きには、1次隊のカラフト犬置き去りへの反響も理解できないだろう。二次隊を残さずに一次隊が撤退しようとした時、犬係の北村隊員が「残ろう」と提案した。村越隊員が真っ先に賛同したことが美談のように語られている。この二人だけが独身だったのだから、当然とも言える。

 

1月18日

 1912年のこの日、日本の白瀬隊が南極大陸に第一歩を印した。白瀬隊は、アムンセンやスコット隊の陰には隠れているが、同じ時期に日本から南極点を目指した隊があったことは特筆すべきだ。彼らは、1/28に南緯80度を超えたところで、周囲を大和雪原(ゆきはら)と名付け、無念の帰路に就く。

 

 

1月19日

 1957年のこの日は、アメリカ隊がアムンセン・スコット基地を開設した日。アメリカが3つ持っている基地の中で極点にあるのがこの基地。不思議なことに、日本の極地研究所が発行している(昭和)基地要覧には、各国の基地の紹介の中に、アムンセン・スコット基地(90度00南緯、139度16東経)とある。概数故なのかもしれないが、ちょっと奇妙。この基地、極点に一番乗りしたアムンセンだけでなくスコットの名前も冠されていることに、ほろりとする。

 

 また、1958年のこの日は、英のフックス隊が史上四番目に南極点に到達したとある。じゃあ史上三番目はどこかと探すと、1月4日にフックス隊の支援隊であるヒラリー隊が南極点に到達している。このヒラリーはエベレストに初登頂したヒラリーである。本隊であるフックス隊の指示に反して先に南極点に到達したのだ。アムンセン・スコットを除けば初なのだ。

 あれ、じゃあ1957年に南極点にいたアメリカ隊は何番目だと調べると、どうやら彼らは空路で南極点入りしたので、順番には入っていないようだ。ちなみに日本人としては9次隊の村山雅美が雪上車で到達し、1968年12月19日、史上9番目として到達している。