もう10年以上前、朝日カルチャーの読図講習の講師を宮内佐季子さんと務めたことがあった。下見の時、僕たちは当然のように走っていた。自然公園のような場所からトレイルに入ろうとする時、整備されたトレイルには、木口レンガが敷き詰めてあった。その日、天気は良かったが、水はけがあまり良さそうに見えないその場所では、木口は黒ずんでいた。スリップに注意しなければならない。その区間に足を踏み入れた最初の着地の瞬間、僕は木口のフリクションを確認しようとした。僕がつま先を捻ったその瞬間に、隣を走っている彼女も足を捻ってフリクションの具合を確認しているのが見えた。
それからしばらくして、僕はUTMFやOMM等多くのアウトドアイベントで安全管理の仕事に携わることになった。それらの長距離レースはもちろん一人でコース上全ての地点を見て回ることはできない。そんな時、僕はしばしば彼女をアシスタントに誘った。フリーランスのアスリートである彼女に時間的自由度があったということはもちろんある。だが、彼女のリスクを見る目に、自分と同じものを感じたからだ。
彼女が現場に行って大丈夫と言えば、きっと大丈夫なのだ。彼女が首をかしげれば、それは何かを考えた方が良い。さらに、リスクを同じような目で見ることができる以上に大切なことは、時々ちょっとだけ違った視点で見ていることがあり、その違いを議論することが往々にして新しい発見をもたらしてくれることだった。南極観測の研究計画の採択見通しが得られた時、一人ではこの仕事をやり遂げることは難しいと考えた時、迷わず彼女を誘った。
もともと、夏期間の野外観測の多い来年62次隊には来て貰おうとおもっていた。9月以降の観測隊の訓練等に参加したり、研究上のミーティングにも出て貰う手はずになっていた。
健康診断の雲行きが怪しくなった時は、まあ保険だと思って、彼女には逐次連絡を入れていた。行く気満々だった僕は、本当に保険のつもりでそうしていた。ちょっとだけ視点の違う彼女は、多分僕の2倍くらい真剣に行くことになる日のことを考えてくれていたのだろう。8月7日に内々に参加不可の連絡を受けた時には真っ先に彼女に連絡し、即OKの返事をもらった。僕が行けなくても観測隊として正式に採用した研究計画なのだから、誰かがデータを取らなければならない。
出発は3ヶ月以上先だが、観測隊員は文部科学省からの派遣扱いである。緑色の公用旅券も発行されるのだ(これが貰えなかったことは、元公務員の端くれとして、また親父の残した一次隊の公用旅券を見るたびに、残念に思う)。
このほどようやく、宮内佐季子さんは、「過酷な自然環境でのリスクマネジメントの実践知」担当の第61次南極地域観測隊員として正式に決定した。8月8日依頼、怒濤のような事務手続きと、彼女を南極に派遣するための各所との調整、大学の本部事務との交渉があった。鬼門だった健康診断もパスした(観測隊の事務の人からは「一発で通らないと時間がないので、健診の前日にハードトレーニングしないでください」と念を押された)。
日本山岳ガイド協会の磯野理事長をはじめ、特別委員会の飯田委員長、事務局の皆様、静岡大学の事務の方、極地研南極観測センターの方々にも大変親身になってお骨折りいただきました。ブログを借りて感謝の言葉を申し上げます。