南極というと「白い大陸」のイメージがある。実際そのとおりで、98%は氷に覆われているのだそうだ。一方で2%の露岩地帯があり、昭和基地はその露岩地帯の一角にあるオングル島に位置する。露岩域だけに夏期間の昭和は南極というよりはアメリカの中西部の荒野のようだ。気温と湿度の条件で見ると、南極の環境は場所によっては地球と言うよりもほとんど火星だ。
昭和基地の夏は、雪こそ残っているが、ほとんどの区域で岩や砂が露出し、おまけにいたるところ建設工事中だったり、建設資材がデポされている。まるでダムの工事現場だ。環境面に配慮して、道路の舗装はもちろん、整地も十分にはしていないので、トラックで走っていても乗り心地の悪いこと、この上ない。
夏隊が宿泊する夏宿は、基地の中心部の管理棟から300mほどのところにある。通信の隊員は通常業務のために管理棟まで毎日通わなければならないし、僕らも管理棟付近での建設作業があると、その支援のために移動する。途中ちょっとした峠があって、その脇にある電離層の研究棟が天気のよいときには茶屋を開業している。越冬ビール(つまりは期限切れのビール)が置いてある。一度もらって飲んでみたが、ビール通でもない僕には、まあちょっと金属くさいかな程度だった。
昭和基地管理棟のすぐ北側の海岸には福島ケルンが建っている。これは1960年10月にブリザードのなか消息を絶った福島隊員を偲ぶものである。福島隊員は、9次隊のときに約7km離れた西オングル島で遺体となって発見された。9次隊には、遭難時の4次隊のメンバーも数多くいたという。このケルンは南極条約協議国会議で史跡に認定されている。
今年の建設活動の目玉は、建設に入ってから4年目になる基本観測棟である。これまでばらばらであった地学や気象観測の建物を一つにまとめる計画で、12角形の洒落たつくりである。ちょうど昭和に滞在していたときに、屋上の防水工事を手伝った。雨漏りがあれば、僕の責任である。供用は61次、まだ2年後だが、今年外装までは終了したので、上棟式が行われた。日本でも滅多に見ることのない本格的上棟式で、神主まで登場して、最後は餅まきまで行われた。
昭和基地には、「アンテナ林」というエリアがある。その名のとおりアンテナが沢山建っているのだが、アンテナ林に限らず宙空の様々な観測をする昭和基地はいたるところにアンテナが林立している。その中でも異彩を放つのがパンジー(大型大気レーダー)エリアである。約1000本のアンテナが幾何学的に建っている。蜂の巣状に配置されたアンテナが空から見るとパンジーの花のように見えるらしいが、地上から見ると十字架の林立した公園墓地のよう。パンジーは、一つ一つは小さなアンテナを広い範囲に数多く建てることで、巨大アンテナに相当する解析力を持つレーダーを作れる、物理的に動かす必要がないので、即時的に多方向にアンテナを指向させることができるのが売りらしい。それで大気の状態を監視しているのだとか(パンジーは宿舎棟から遠いので残念ながら写真がない)。
1000本のアンテナのメンテを一人で受け持っているパンジー隊員はいつも大変そうだった。越冬期間は零下数十度の中、腹ばいになりながらメンテナンスをして、一週間点滴生活を送ったこともあるそうだ。「私ら下々の者がしっかりデータを取ることで、世界的な研究成果が出ているんです」とパンジー隊員は胸を張っていた。パンジーエリアは、そんな技術者魂が南極観測を支えていることの象徴のように思える。
僕の一押しの風景はこれ。道路わきの動物注意と国道標識。動物はもちろんペンギンだし、国道標識もよく見ると「極道」と書いてある。極の道だから極道なのだが、きっと「ごくどう」と読ませるのだろう。