32. My office

野外を含めての約4ヶ月、いつもの研究室を離れて仕事をする。これは自分に とってもはじめての体験だった。調査はもちろんだが、その合間にも資料整理をしたり、考えをまとめたりする。その環境は、しらせ艦内から野外のテントまで多岐にわたった。4ヶ月間、私の研究活動を支えてくれた「office」を紹介する。

 

①しらせ艦内

しらせのオフィス。中型ダンボール4個が優に入る棚と、衣装ロッカー、その他収納スペースは多いのもうれしい。
しらせのオフィス。中型ダンボール4個が優に入る棚と、衣装ロッカー、その他収納スペースは多いのもうれしい。

  1127日に日本を出発し、翌28日の昼にはオーストラリアのフリマントルに到着した。そこから私の研究活動がスタートした。そこから往路20日、帰路約45日のしらせでの生活がはじまった。しらせは通算2ヶ月を越える南極観測における主要なオフィスであった。

 

 しらせは、2008年に進水した自衛隊3代目の砕氷艦である。排水量は12650トンで、175人の乗組員と約80名の観測隊員、1100トンの物資を輸送できる。観測隊の居室は1甲板(外から甲板だと認識できる01甲板のひとつ下)の中央から後ろ側に位置し、右舷左舷の各廊下の左右に約20づつの居室が配置されている。観測隊の居室は士官待遇の2人部屋で、二段ベッドに二人分のデスクとロッカー、簡易ソファーがある。このベッド、越冬を断念し、越冬隊員純増でも帰路につけるように、実は3段ベッドにもできる。幸い越冬断念はこれまで一度もないが、数年前にオーロラ号を救助したときは、このベッドが活躍した。

 

 ルームメイトは、秋田の高校の先生だった。「南極授業」という極地研の事業を実施するために全国から公募されており、毎年2名が派遣される。約60日間机を並べ仕事をし、そして時に飲みながら、南極のことから、今回の研究/仕事のこと、教育のことまで語らい合った。僕に寮生活の経験はないが、つくばでの大学院時代、冬になると研究室備え付けのストーブの上で同級生を夕食を作りながら、まじめな研究の話からどうでもいい話まで毎晩語らった30年前のことを思い出した。

 

 什器は基本固定されており、備え付けの書類棚の一部を開くと机になる。机の奥には電気とLANケーブルのコンセントもある。机の上に引き出しがあるので、文具や身の回りのものは全部手を伸ばせば届く範囲にある。足元の大きめの引き出しには衣服が収納できる。やや狭いのは否めないが、2ヶ月間の研究生活を支えてくれたお気に入りのデスクだ。

 

 唯一の問題点は、ネット環境である。多くの方には「ネット不可」として連絡を失礼したのだが、実はメールだけはやりとりできる。だが3Mという厳しい容量制限がある。初めて聞いたときには耳を疑った、3Mは通あたりではなく一月あたりの個人の割り当て容量なのだ。なにかというとpdfがすぐ添付される現代のメール環境では一発で今月のメールは「終了!」となりそうだが、テキストメールならけっこう使い手があった。ブログの原稿なら、どんなに長く書いても100Kにも満たないので、全く問題ない。ただ、せっかくの美しい写真も640×640程度にダウンサイジングしなければならなかったのは残念だ。

 

 帰路では、数十時間分のヒアリングのテープやビデオをがんがんテープ起こしして、疲れたらうしろのソファーに横になる、あるいは歩いて3秒の冷蔵バッグから冷たい飲み物を飲む(冷蔵庫はないので、隊員公室の製氷機から保冷バッグに氷をつめて部屋の冷蔵庫としている。もっと疲れたら、ベッドはすぐ隣だ。窓も見ないので昼か夜かも分からない(見えたとしても夏の南極では昼と夜の区別はそれだけではつかなかっただろう)。気分転換が必要なら、甲板でのジョギングもできる。あるいは4階あがると狭いながらもジムがある(これらについては後日)。十分すぎる研究環境である。

②予察キャンプ

 南極大陸での生活は、ラングホブデの氷河予察キャンプで始まった。氷河掘削チームは南極滞在の40日間のほぼ全てをここか氷河上のキャンプ地で過ごす。長いキャンプ生活にはプライベート空間が不可欠だ。ノースのドーム8というでかいテントを食堂に、一人にひとつのノースのこぶりのドームテントが与えられた。ドーム8は8人が楽に椅子座できる。個人テントは3人は優に寝れる。これを一人で使えるのだから、広さの点では申し分ない住処だ。昭和基地に運ぶ私物のダンボールを持ち歩いた僕は、それをテントの一角に据え、机代わりにした。

 

 予察キャンプはその名のとおり、本格的な調査スタートの前の偵察的なキャンプだったが、強風で停滞したときにはこのテントが僕のオフィスになった。テントだけあって、ゼロ度前後の気温では内部は決して暖かいとはいえなかったが、ちょっと厚着をして寝袋に包まっていれば十分だ。指先は寒いのでタイピングの効率はよくなかったが、全てのものが手が届く範囲にある。「行く川の流れは絶えずし、・・・」などと悟りきった気分にもなれる。今となっては、ここで今回の研究の最初のリサーチクエスチョン「なぜ安全だと考えられるのか」に思い至り、それについて考えをめぐらせたり、氷河チームのヒアリング記録を聞き直したことが懐かしい。

 

 

氷河予察キャンプでの「方丈」。狭くて不便なことも多いが、  「窓」を開ければ氷河が見える絶景の一軒屋でもある.
氷河予察キャンプでの「方丈」。狭くて不便なことも多いが、 「窓」を開ければ氷河が見える絶景の一軒屋でもある.

 研究活動だから、野外調査とは言え電気製品は欠かせない。氷河チームではなかったが、中には6000万円もする測器を持ち込む調査チームもある。デリケートなので、研究者の方は測器と添い寝である。どの野外調査でも発電機は基本用意されていたが、一時的なキャンプである予察キャンプには発電機の用意がなかった。これが唯一不便だったが、PC2台に大容量バッテリー3個、またビデオも10時間撮影可能な大容量バッテリーを3個持ち込み、研究に支障が出ることはなかった。

③昭和基地

夏のオフィス。通常ノートPCにディスプレーを接続して仕事をし  ているので、僕の仕事スタイルからすると、ディスプレーなしはけっこう厳し  い。変わりに持ち込んだソニーのデジタルペーパーは、重宝した。これで資料を  閲覧しながら、考えたことをPCで文章化。
夏のオフィス。通常ノートPCにディスプレーを接続して仕事をし ているので、僕の仕事スタイルからすると、ディスプレーなしはけっこう厳し い。変わりに持ち込んだソニーのデジタルペーパーは、重宝した。これで資料を 閲覧しながら、考えたことをPCで文章化。

 昭和基地で越冬隊が使う居住棟をビジネスホテルとすれば、夏隊が使う夏宿舎(1夏、2夏)は山小屋だ。1夏は食堂や風呂、トイレのファシリティーがある代わりに部屋は2段ベッド2基の4人部屋。2夏は二人部屋ながら、水関係のファシリティーが一切なく、あるのは熱水器のみである。1夏を昨今のややゆとりのある山小屋とすれば、2夏は避難小屋レベルだ。

 

 2夏の二人部屋には棚等が一切なく、ベッドの周辺は2辺に幅80cmの空間があるだけである。これを二人で使っている隊員は大変そうだったが、僕の部屋は幸いなことに同室者が最初から最後まで湖沼調査にでかけていた。二段目が棚に、1段目がベッド兼仕事デスクだ。必要なものは全て手の届く範囲にあるが、さすがに整理がしづらく、どこに何があるかしばしば分からなくなる。

 

 小用は玄関脇の外、大の場合は200m離れた1夏に行かなければならない。話で聞いたときは「まじかよ!?」と思ったものだが、住めば都。室温が高く乾燥しており、雨のない南極では外のトイレも苦にはならない。疲れた頭を冷やすにはちょうどよかったし、多くの人が集まる1夏よりも落ち着いた環境で仕事ができた。昭和基地は無線LANも完備している。ウェブは実用的にはどうかというスピードではあったが、メールはほぼ送受信し放題。卒論や修士論文指導、来年度の授業の調整など日本に残した仕事で、毎晩遅くまでメールをしていた。南極にいるのをワスレテしまいそう。

④キャンプ

零下10度のボツヌーテン・テントの中で。
零下10度のボツヌーテン・テントの中で。

 氷河以外の観測活動にもいくつか同行した。さすがに個人テントの余裕がな かったが、悪天候でヘリ飛ばない時にはPCを叩いた。内陸の標高1400mボツヌー テン麓のキャンプではさすがに指が凍えた。寝袋に半分PCを包みながらのタイピ ングしたり、必要なことはメモ帳にメモり、後で打ち込むなんてこともした。PC 自体に不具合はなかったが、この環境だとPCを使って仕事をするのは、ちょっと厳しいなあというのが実感。