僕が長い時間お世話になった氷河チームは、過去にほとんど人が入っていない自然の中にキャンプを設営し、野外生活をしながら調査を継続している。南極観測隊というとみんながそんな生活をしているように思わっている人も少なくない。しかし、実は現在の南極観測ではそのような調査スタイルは少数派である。隕石発見で業績を上げたセルロンダーネ石調査隊は約3ヶ月間、南極でキャンプ生活をする。過去にはガイドや著作でも有名な阿部幹雄さんやプロスキーヤーの佐々木大輔さんがフィールドアシスタントをしている。もちろんその期間、風呂には入れないし、食料のほとんどもフリーズドライで軽量化を図っている。ブリザード中に建物に避難することもできないので、スノーモビルが転がったり、テントが崩壊するといった危機的状況も経験している。
現在の昭和基地はそれらとはかなり違った環境である。発電機が止まらない限り基地内は暖房で暖かいし、越冬隊員には個室が与えられ、風呂や日常的な食事はもちろんネット環境も提供されている。20世紀初頭の冒険ならともかく、1年にわたる研究・観測活動は、そうでなければ成り立たないだろう。
環境が整っているということは、それを整備した人がいるということだ。これを南極観測隊では設営(logistics)と呼んでいる。電気や機械の維持、通信インフラ、車両等の整備もそうだが、時間的に多くが投入されるのは基地の建物の新設や保守である。なにしろ昭和基地には大小交えれば70棟以上の建物がある。その保守は常時必要だし、古くなれば立て替えが、観測計画が新規に発生すれば新設が行われる。日本なら資金さえあれば建設業者に頼めば済む。だが、昭和基地には基本的に観測隊員(と同行者)しかいない。つまりは自分たちで作るしかないのだ。
もちろん素人にそんな建物が作れる訳もない。現場監督クラスの建築系の専門家が毎年数人観測隊に参加し、その指示のもとに私たち素人が働く。しかも、それらは屋外作業が可能で、比較的人手がある夏期間(12月後半から1月末)の短期に完遂しなければならない。
夏期間の過酷さは、観測隊に参加した多くの人が語る。居住環境もさることながら、その大きな要因は設営活動にある。プレハブ化されているとは言え、ごく普通の建物を作るのだ。足場づくりもあれば、生コンづくりもある。それを建築のことを知らない素人が手伝うのだから、それだけでも精神的にはかなり堪える。
実際には、何も知らない素人に丁寧に根気強く指示を出し、作業環境に配慮してくれる。考えてみれば、彼らが日常的に相手にしている作業員だって現代の若者が多数を占めるのだから、イメージの世界の工事現場の親方のように怒鳴っていたら働き手がいなくなってしまうことなど、先刻承知の上だろう。工事用のボンタンズボンと作業着に身を包み、南極では必須のサングラスをかけた建築系設営隊員はとっても怖そうに見えて、はじめて参加した日は「ばかやろうー、何やってんだ~!」って怒鳴られないかとびくびくした。でも、建設系の設営隊員も、ずぶの素人が手下では、随分心もとない思いをしていたことだろう。
昭和でも実験をしていた僕が設営活動を支援した日数は限られていたが、足場組みや生コンづくりなどを手伝った。南極にこなければ絶対できない経験である。生コンプラントでは砂をバケツにくむ係を担当した。5人で立ち替わりながら、スコップで540杯のバケツに砂をくむ。医療隊員(医者)は、仕事がないほど好ましいので、設営の主たる任務を兼任することになっている。例年日本で研修を受けてきて、生コンプラントの主任としてプラントの監督をした。過去に参加したドクターの方と飲んだ時には、「日本で生コンが作れる医者は滅多にいない」と威張っていた。生コン作業をした大学教授もそう多くはないはずだ。
ささやかなお手伝いだが、「地図に残る仕事」に関わった達成感は高い。特に生コンのように作業手順が明確で、目的もはっきり分かる仕事はやりがいがある。一方で環境保全(ごみひろい)のように、成果が見えにくい仕事は特に寒い日だと疲労が募る。こうした作業があるからこそ、過酷な環境の下での研究・観測活動が成り立つ。
(インフラといえば、今回紹介したようなハードなインフラが思い浮かぶ。しかし、観測を支えるのはそれだけではない。自然の中での生活にはソフトな面でのインフラも必要だ。次回はそれを支えるFA隊員について紹介したい)。