南極への到着もその後21-22日の二日間も好天に恵まれた。「夏の時期の南極は暖かい」経験者からそんなことを聞かされて「そんな訳ねえだろ!?」と思っていたが、ほんとだった。風さえ吹かなければ、氷河の脇の池の水でタオルを濡らして裸になって体を拭くのも苦にならない。
24日の午後からは曇り勝ちでやや寒くなったが、若い研究者たちが、「僕のお別れ会」を夕食に開いてくれた。しかもクリスマスイブ。フライパンで焼いたピザにおいしいケーキが南極大陸で食べられるとは!気候も温暖。食事もテント生活も楽しい。危うく南極の自然をなめかけていた。
ところがその後、天候はさらに悪いほうに向かった。といっても、天気自体は曇りから時々小雪がぱらつく程度。一方で、風速は5-10m/s、時々15m/s。こうなると途端に寒くなる。それでも所詮夏なので、気温や耐寒温度はせいぜい日本の真冬のスキー場程度。だが、その中でキャンプ生活をし、さらには寒風の中、精密な測量を行ったり、記録を整理するという知的な生活をすることを考えてみてほしい。
天候の影響は輸送にさらに大きく響く。南極観測の夏期間の間、頼りになるのはしらせ搭載の自衛隊のヘリ2機と観測隊がチャーターした小型ヘリ1機。強風が吹くと、これらのヘリが飛べなくなる。僕の昭和帰還予定の25日は、ラングホブデの風速は4.8m/s。それほどではないが、大陸からの風の吹きさらしの位置にある昭和では、かなりの風が吹いていた。そのため、朝の時点でヘリ飛行の判断は保留。その後30分遅れの連絡が入ったので、荷物を片付けテントで待機した。でも、風で煽られるテントの音を聞いていると、今日は戻れないかもと思う。
しばらくして予定より少し早めにヘリの爆音がした。飛行コースからみてスカーレン(昭和からより遠い露岩)にいく便のようだ。この次だ。そう思って待っていると、研究者の一人箕輪君が「残念なお知らせ」と言って、その後のヘリがキャンセルになったことを告げに来た。天気予報で今日一日は風が強い。もともとヘリの運行は1日早く進んでいる。「無理せずやろう」という心理が働いたのかもしれない。昼過ぎまで、これまでのヒアリング記録を聞き直し、1時間以上爆睡し、昼食。その後も待機となって結局飛べなかったが、日常では決して得られない、自分ではどうすることもできない時間に浸る余裕はあった。
その日の夕食は僕のお別れ会第二弾となってしまった。翌日は9:00予定のヘリを待つも、天候調査で再び待機となった。荷物を全部片付けてしまったので、食事テントで待機する。昨日は炊飯の水が少なめでシンありご飯をたっぷり作ってしまった。徒然にチャーハンを作った。子どものころ日曜日で母不在のとき、父はチャーハンをよく作ってくれた。父はそれ以外の料理を作らなかったが、チャーハンは子ども心においしいと思った。南極でチャーハンを作りながら、そんなことを思い出した。
その後、14時の飛行予定も保留になった。たぶん今日もだめだろう。この風で飛ばないとなれば、今後も高い確率でヘリはキャンセルになってしまう。ヘリ以外の方法で昭和やしらせに帰れない南極では容易に孤立してしまうのだ。その過酷さの一端を痛感した。
15時の連絡で16時発決定の連絡があった。僕自身の帰還はともかく、彼らのもとに発電機や追加の観測機材が運ばれてくることにはほっとした(実際には僕を迎えにきたヘリで届いたのは最低限の観測機材と発電機で、彼らは本格的な活動のための資材を、もう数日待たなければならなかった)。たった数日だったけれど、充実した数日をありがとう!「よい研究成果を!」そういって握手をして彼らと別れた。