1. 南極に行きたい

 

 南極に行きたい、と思うようになったのはいつのころからだろうか。正確な年を思い出すことはできませんでしたが、「南極料理人」を読んで、突如そう思ったことだけは憶えていました。読書日誌を見返してみると、それは2010年度の早い時期でした。

 

 それまでにも人並み以上には南極に関して知っているつもりでした。でも、それは研究分野としてオーロラやペンギン以外に、雪氷や地学系の研究があるといった程度のものでした。まして、南極で伊勢エビの天ぷらが食べられるとか、ミッドウィンターには酒池肉林が繰り広げられていることなど、想像することもできません。日常生活にはあまり頓着しないほうなので、南極料理人の何がいったい自分の心をつかんだのか、今もって分かりません。痛切に「南極に行きたい」と思ったことだけは憶えています。人はDNAの仕業といいます。しかし、寒さへの選好は遺伝しないことは、自分自身がよく知っているので、多分それは正しい理由ではないのでしょう。

 

 さて、どうしたら南極に行けるのだろう。料理人や医者が公募であることは知っていました。医者になるには6年。工学部の1年後輩で39歳から医学の勉強を初めて医者になった奴がいますが、さすがに時間がかかりすぎる。料理免許は1年もあれば取れるでしょうが、免許があるくらいでは1年間40人の隊員の胃袋を満足させることはできないでしょう。しばらくして気づいた。そうだ、リスクマネジメントの研究だ。

 

南極では当時は過去1例の死亡事故が発生していました。僕が生まれた年の10月に四次隊で福島隊員がブリザードの中でロストポジションし、遭難死したのです。道迷いの本を書く時に、それ以外にもロストポジションも含めて細々したアクシデントが起こっているのを読んでいました。だとすれば、隊員は日常的にリスクに晒されているのだから、その安全確保も重要なテーマになりえるでしょう。

 

 父を始め、何人かの南極関係者に話をした。否定的な答えを返した人は誰もいません。むしろ、「それは大事な研究だ」というのが多くの人の共通した認識でした。リスクマネジメントで行ける!そう確信できたころには附属学校の校長職に就くことが決まっていました。

 

お預けになった3年間は充電期間だと割り切りました。成山堂の極地研ライブラリーを始め、南極関係の本を読み漁りました。論文にも当たりました。気分を中心とする臨床心理学的な研究は日本でも諸外国でも行われていました。一方、実験心理学の研究はすぐには見つかりませんでした。そのうちに、Journal of Human Behavior in the Extreme Environment、なんていう雑誌が出ているのも発見した。Naturalistic Decision Making という研究領域があり、その中で過酷な環境における意志決定についての論文集も見つかりました。南極が自分がこれまで積み重ねてきた自然環境でのリスク特定能力や回避能力の延長線上にある、魅力的かつ現実的なフィールドであることが再認識できました。

 

 実現への歩みをスタートして知ったことですが、実はこのころ、南極にいくことはまだできなかったはずでした。ご存じのように南極は自然科学の研究フィールドです。そこには人文社会的環境が基地という限定された空間にしかないのだから当然のことです。そして、様々にある極地研の研究カテゴリーのどこにも人文社会科学は入っていなかったのです。初めて採用への道筋が開かれたのが58次隊(平成28年11月出発)。法学者のある神戸大学の柴田さんが、夏隊に参加しました。法学者が南極?彼は南極条約(南極はどこの国の領土でもないといったことを国際的に取り決めている)を研究していたのです。彼は「現地主義の南極条約」というテーマで58次隊に参加しました。

 

 うーん、それほんとかな。日本で文献研究したほうがはるかに効率的なんではないだろうか。「あなた、行く必要ないでしょ!」と問い詰めたら、「いく必要はないけど、行きたいんだ」と白状しました。分かる気がします。南極はそんなところなのです。職種によっては「3回目の挑戦でようやくなれました」という人もいます。

 

 58次、59次と人文社会科学の研究が南極観測で行われることになります。一方で、これは「公開利用」といって、大学共同利用研究機構である極地研究所が、南極でしかできない研究に昭和基地という場所と観測隊の資源を提供しますよ、という、いわば持ち込み研究です。平成31年から始まる第Ⅸ期中期計画後期で61次隊に向けて公募された研究カテゴリーでは、初めて人文社会学系の研究も募集が行われています。心理学にとっても南極という特殊なフィールドを研究対象にする素地がようやく整いました。