極度のリスクに携わる登山家が、そのリスクをどう捉えているか、そこから自然体験に関わる指導者へなんらかの示唆がなしえるのではないかという着想で、研究費をもらった。
まずは、クライマーの手記やインタビュー記録を読んで、質的研究の手法でまとめてみた。彼らはほぼ異口同音に「自分は臆病」で「冒険にリスクは不可欠だが、それをコントロールしている」という。もともとリスクとは不確定さを含むものだから、それをコントロールしているというのは言葉の定義上矛盾があるのだが、確かにリスクに関わる活動のエキスパートになると、その感覚には理解ができる。問題は、「コントロールしている」という実感がどこから得られるかだ。
まずは事前の綿密な情報収集やそれに基づくリスクの想定、それに対応した計画がある。もちろんそこには徹底した研究心が必要だが、彼らは「臆病」だからこそ、これをきっちりやり遂げられるのだろう。
彼らのリスクをコントロールするのは事前の準備だけではない。むしろ行動中の具体的なリスクの想定、困難な場面での最善の選択肢発見の努力、そして苦痛を伴いながらそれを実施する忍耐力は、彼らの行動を裏付けている。たとえば、日本人初の8000m14座登頂に最も近い男といわれる竹内洋岳は、「フロントポイントクライミングになっている。ぴっかぴっかに光る鏡のような氷の壁を延々登り、延々とトラバースしていく。目の前のアックスはピックの刻み一つ分しかささっていない」場面、こんな想像をする。「フロントポイントクライミングになっている。ぴっかぴっかに光る鏡のような氷の壁を延々登り、延々とトラバースしていく。目の前のアックスはピックの刻み一つ分しかささっていない。」そして、「ああ気持ち悪!想像するんじゃなかった」と考える。彼らだって、越えたくない一線はある。しかし、そんなイヤなことを想像する。それがイヤなことだけに、回避のための究極の発想や努力への強い意志が生まれるのかもしれない。
安全管理というと、多くの場合、事前の計画やマニュアルといったものが指摘される。しかし、不確定要素の多い自然の中では、事前の準備はもちろんだが、オンサイトでの状況判断とそれに根ざした行為が重要な意味を持つのではないだろうか。トムラウシ遭難の時の分析に違和感を感じ、「オンサイトの状況判断」という考え方を示した時に感じていたリスクマネージメントのポイントに、ここでも行き当たることができた。